島 至(Shima Itaru)

1950年2月10日 東京の神田に生まれる。親子三代に渡るチャキチャキの江戸っ子である。
株式会社エスピック代表取締役社長。1973年に島計算センター(現エスピック)に入社し営業兼SEとしてシステムの 開発等を担当。1988年代表取締役社長に就任。1990年に社名を「エスピック」に改め現在に至る。 趣味は旅行、テニス、他多数。『窓ガラスが鏡に変わる時』著者
無類の旅好きで、これまでに訪れた国は50ヶ国を超える。旅を通して人生を学び、ビジネスの現場で改めて人の大切さを痛感し、 企業理念である「Good People Company」に辿り着く。以来、一貫して『人』を一番大事にする企業 『人』の成長と共に成長していく企業を目指している。

企業情報
企業理念
社長からのご挨拶
年頭所感
会社概要
事業紹介

社長プロフィール


島 至の紹介

少年時代

誰もしていない旅をしたかった。
一念発起し、母の実家の日光まで4日間一人で歩き通した無銭旅行。
旅先で出会う人たちは皆親切だった。
人との触れ合いが嬉しかった。
目的地に辿り着いたとき、「また旅がしたい!」と思った。

学生時代

よくバックパック一つで一人旅をした。
北海道から沖縄まで自転車で日本縦断を敢行した。
休学してヨーロッパやアフリカ大陸を放浪したこともあった。
サハラ砂漠で見た全天を紅く染め抜く壮大な夕焼け。
人も羊も、小屋から立ち昇る夕餉の煙も全てが真っ赤に染まった。
今度は家族を連れてもう一度この地に立ちたいと思った。

SE時代

社長に就任するまでの十数年間はシステム開発現場の
最前線で活躍するSEだった。
迫る納期、動かないシステムと徹夜で格闘した。
致命的な状況にも常に笑いを忘れなかった。
よく夢を語った。
その今を楽しむ気持ちが危機を乗り越える力になった。
忙しい毎日でも、そんな現場が好きだった。
危機を乗り越えるたびに不安が自信に変わっていった。
社長に就任し現場を離れた時、自分の得意分野を手放すようで、一抹の寂しさを感じた。

10円玉禿げ

社長業は奥が深い。企業経営は一筋縄では行かない。
何度か厳しい状況を乗り越えてきた。
前社長から社長職を引き継いだときも会社は厳しい状況だった。
前社長が会社を整理しようかと悩んでいた時だった。
「お前がやってみるか?」
楽天的な社長は厳しい状況の中でも何故だか自信があった。
38歳で社長に就任し、翌年には黒字化に成功した。 3年後には会社は倍の規模になり、自信満々だった。
そこにバブルがはじけた。
じりじりと業績が落ち、資金繰りに苦しみ、
社員に給料が払えない状況に文字通り脂汗をかく日々が続いた。
ある日、鏡に映る頭部の異変に気付いた。
楽観的な性格に10円玉禿がストレスの大きさを象徴的に伝えた。
しかし悲観的な考えから解決策は生まれないことに気付いていた。
厳しい状況にも笑いを忘れず、楽しむ力が道を切り開くことを信じていた。
致命的な状況を何度も乗り越え、やがて状況は改善した。
事業が軌道に載ったとき、頭部の象徴は消え、新たな自信に変わっていた。

SPICが好き

島至はSPICが好きだ。
SPICを好きと言うことは、すなわちSPICの社員が好きと言うことである。
「いい奴が多い」と感じている。
島はお酒も好きでよく社員と連れ立って飲みに行くが、社員とコミュニケーションをとろう
と思ってやっているのではない。社員と一緒に飲んでいろいろ語り合うのが本当に好きなのだ。
「いい人がいい会社を創る」という思いで会社を成長させてきたが、
そのことを最近は実感してきている。

島至は自分自身の事も好きである。
家族や社員からも好かれていると思っているが、自分の事を一番好きなのは実は自分だと
密かに思っている。