「幸せにする」ことより「幸せでいる」こと

「私はこんなに幸せでいいのかしら?」だって?
勿論だよ!
男は幸せにするために生まれてきたのだし、
女は幸せになるために生まれてきたのだから。

男は女に何かをしてもらいたいわけじゃない。
君が僕といて、いつも楽しくて幸せでいることが、
僕を幸せにしていくことなんだ。

「幸せにする」事よりも「幸せでいる」事の方がずーと難しいのかもしれない。

二流で素敵な人

一流で凄い人がいる。
その人のそばにいると、その人がいかに優秀で頭が切れるかを思い知らされる反面、
こちらが如何に駄目な人間かも思い知らされる。
そして、その人が離れると何故かホッとしてしまう。

二流かもしれないけど素敵な人がいる。
その人のそばにいると、優秀で頭が切れるという事をこちらに全然感じさせなく、
むしろ自分の方が凄いのではないかという気がしてしまう。
そして、その人が離れていくと何か淋しく感じてしまう。

二流で素敵な人になりたい。

人生の意味

人は皆、これを為す為に生まれてきたのだという「使命」をもって生まれてきている
のだと思う。
ではどうやってその使命を見出していけるのだろうか?
人生には無駄な事や無意味な事は起こらない。
全ての物事はその人に必要だから起こるべくして起こり、出会うべき人に出会ってい
るのだと思う。
自分の使命に沿ってやっていくからうまくいくのであって、
不安や欲望などから無理に仕掛けていくとうまくいかないものだ。
自分の心が本当に求めているものに素直になり、そして自分に必要なこと、今目の前
にあるやるべき事をやっていく事によって、
自然に導かれていくものだと思う。
この仕事をするために、この人を幸せにするために、自分は生まれてきたのだと次第
に感じていくものだと思う。

人生の意味や生まれてきた意味は「考える」ものではない。
生きていく中で、「感じて」いくものだと思う。

自分を導く

リーダーとしての心構えがある。
「もしも人を見たままに扱えば、
彼は彼のまま変わらずに居続けるだろう。
もしも人を本来なるべき姿として扱えば、
彼は本来なるべき姿に変わっていくだろう。」

自分自身に対しても同じ事が言えるのではないだろうか。
今はまだまだ未熟な自分でも、
自分こそが自分を本来あるべき姿として扱ってあげることが大事なのではないだろう
か。

自分を導く能力こそが、人を導く能力を証明する。

想像力

事実というのはほんの自分の身の回りに起きた事ぐらいしか本当の所はわからない。
ほとんどは他人からの伝聞などから自分が勝手に想像しているだけである。
相手の気持ちも自分が勝手に想像するだけで本当の所はわからない。
他人からひどい事を言われたり、ひどい事をされたとしても
それは自分が勝手に「ひどい事」と想像しているだけである。
人は滅多に悪意を持って他人に働きかけたりはしないものである。
いい事も悪い事も自分の想像が起こしているだけである。
「ひどい目」にあっている人はそれだけ想像力が欠如しているのである。
「嫌な奴」がいるのは自分の想像力の貧しさを表しているのに過ぎないのである。
この世に「辛い事」や「大変なこと」は存在しないし、「嫌な奴」もいないのである。
全ては自分の想像が起こしているのである。

全てを「幸せ」に受け止める想像力を磨いていきたい。
それが幸せな人生を生きていく道だから・・

愛してる、そしてありがとう

「愛してる、そしてありがとう」
誰かを対象にして言っているわけではない。
夜寝るとき、最近よく頭の中でつぶやいている言葉である。
この言葉を言っていると心が温かくなり力が湧いてくる。
言霊と言うのだろうか、言葉自体が持っている力を感じる。
世界で最も美しくて、最も心に響く言葉ではないだろうか・・・

味の本質

「欲望」を持つ事がいけないのではない。
何に対して欲を持つのかが重要なのである。
私利私欲などの欲望はあまり持たないほうがいいが、
「君を幸せにしたい」「社会を良くしたい」などの欲望は、もっともっとたくさん
持ったほうがいい。

「金」そのものには何の色も付いていない。
その稼ぎ方や使い方で汚くもなるし、美しくもなる。
自分のためだけに使っていると汚れてくるし、
他人のために使っていると輝いてくる。

「味」は料理そのものにあるのではない。
味の本質は自分の舌、料理の味わい方にある。
同じ料理でも美味しいという人も、、不味いという人もいるのである。

人生の本質も同様である。
素敵な人生かどうかはその状況にあるのではない。
素敵な生き方や幸せな人生は、その状況の味わい方にあるのである。

思いは実現する

「人は望んだとおりになる」、「思いは実現する」というのは良く知られている話である。
「私は成功したい」、「私は金が欲しい」と思っているから
いつまでも「欲しい」状態が実現しているのである。
「私は成功している」、「私は豊かである」が正しい思いである。
そう思っているとその思いに沿って次第にモノや状況が現れてくるのである。

何かを得たいからそう思うのではなく、心の底からそう思えるかである。
人生という舞台での勝者とは、自分の心の葛藤を勝ち抜いていった人の事である。

2兎を追うものは3兎を得る。

「仕事を優先するか家庭を優先するか?」と悩む必要はない。
「自分の意見を通すか相手の意見に妥協するか?」と悩む必要はない。
どちらかを活かすために他方を捨てるという考えでは両方ともうまくいかないもの
だ。
常に両方を活かす道を探る事だ。
自己中心主義は勿論美しくないが自己犠牲も美しくない。
自分も相手も活かすことを常に考えるべきである。

逆方向に逃げていく兎を両方追いかけることは出来ない。
餌場を作って両方の兎が寄ってくるようなことを考えることである。
そうすれば3匹目の兎もやってくる。

我々は矛盾の中に生きている。
矛盾を乗り越えていくためには常に新しい発想が必要なのである。