『窓ガラスが鏡に変わるとき』が文庫化されました
文庫化にあたってのインタビューをまとめましたので、ぜひご確認ください。
タイトルに込められた思いを教えてください。
本にも書いたことになってしまうけれど、きっかけはヨーロッパ旅行だね。
ふと傷心していて、窓から外を見ていたんだよ。
その時に、自分の顔が映っていることに気付いてね。
「あれ、外の世界を見るために旅行に来ているのではなく、自分を知るために旅行に来たんじゃないか」って思い至ったんだ。
世の中に辛いことや悲しいことがあるのではなく、自分がそう捉えるからそう見える。
例えば、ハンバーガーを頼んだはずなのに、テリヤキバーガーが運ばれてきてしまったとするでしょう。
そんなときも、「ああ、テリヤキバーガーが食べたい気分だった」と思い変えてしまえば、意外と物事ってうまく動くんだよね。
「こういう風になればいいのに」とか「こういう風に辛い」とか思っても、他人や状況を変えるのは難しい。
僕は変えるべきではないとさえ思っている。
自分の捉え方によって世界は変わって見えてくるんだよね。
「捉え方を変える」とは「大きな流れに身を任せる」ということなのでしょうか?
そうだね。自分を広げていく感覚だよね。
自分と相手の両方が納得するように、大きなステージでの価値観を持つべきじゃないかな。
相手を受け入れる、ということは、もう一つ大きなステージの価値観を持つ、ということだと思うんだ。
視座を高く、視野を広く持ってみることかな。
文庫化に、どんな思いがありますか?
去年の夏に幻冬舎さんからそんな話が上がったんだよね。
コロナ禍の中で、心が温かくなるような本・誰かを大切にしたくなるような本、ということで僕の本が話題に上がったそうで。
そして、今は家でゆっくり本を読む、というより、通勤途中で読むような読書文化だから、
女性のバッグに入るサイズの本にしよう、ということであのサイズになったんだ。
まああまり小さくしてしまうと、文字が小さくて僕は見えないんだけど。笑
前回は詩を中心にしていたんだけれど、
今回は詩への気付きを得た旅での経験もエッセイにして、本の軸として載せているよ。
島会長の中で、やはり旅は軸なんでしょうか?
実はね、最初の放浪旅行から帰ったことを友達に知らせずにいたら怒られたんだよね。
でも僕の中では「旅から帰ってきた」ではなくて、「次は日本に旅に来た」という感覚だったんだ。
そうそう。死についても。
輪廻転生とか、生まれ変わりとか…色々な考え方があるでしょう。
僕もそういうのがあったほうが楽しいだろうなって思うんだよね。
今の人生でやり残したことがあっても、
「次の旅先ではこういう風にしよう」とか、「この人と、来世ではこういう風に会いたいな」とかができるじゃない。
今の人生も旅の一部だと思うと、次の人生はどんな場所かな、と思うんだ。
死後は想像だから、勝手に想像したらいいんですよ笑
生まれ変わりが楽しみだな、って思うね。
詩をどんな時に思いつきますか?
ただ生きて、ご飯を食べて、その日暮らしのままだと気付けないんだよね。
人間って何かな、人生って何かな、どうして戦争ってなくならないのかな、と思っていると、ふとした日常のことから気付きを得られるんだよ。
愛と平和に満ち溢れている完全な世界だと、魂は磨かれなくて、
不完全な世界だからこそ、魂は磨かれるんだよ。
君も完全ではない、僕も完全ではない、この世ではそれが完全な状態なんだ。
それから、日常の気づきの中から言葉をはめて詩にしていくのは面白いよね。
「みずみずしい」とか、「潤っている」とか、「たおやか」「しなやか」とか…
微妙な違いを日本語では表現ができるでしょう。
だからこそ面白いんですよ。
本をある程度読まないと、ボキャブラリーは広がっていかないけれどね。
最後に一言、メッセージをお願いします!
この本を感じてくれる人もいれば、興味がない人もいるから、何とも言えないよね。
売れればいいとかもないなぁ。こちらの感性を広く知らしめたい、とかも別にないかな。
読んだ人が良かったと思ってくれるならうれしいけれども。
ただ、本だと孫が大人になったとき、「あ、じいちゃんこんなこと考えてたんだ」って思えるでしょう。
本は残るし、考え方も残せるじゃない。
会社も同じで、企業理念が浸透していく中で、理念が磨かれながら次の世代・次の世代…となっていくのはうれしいよね。
大切なのは理念だと思うんだ。
理念がしっかりしていれば、段々良くなっていくし、コロナくらいでは影響を受けないんだと思うよ。