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2001年の年頭所感

21世紀がスタートしました。大きな時代の節目で、何かが大きく変わっていくような期待感があります。 21世紀がどういう時代になっていくかではなく、どういう時代にしていきたいかということで考えていきたいと思います。

希望を実現するものは“愛”

21世紀は科学などの進歩のおかげで、社会が発展、繁栄し、我々の生活も大変便利に、快適になってきたと思います。 ただ科学や経済の発展のみに力を入れすぎ、人間や心が置き去りにされてきた部分もあり、人間にとって住み難い世の中にもなってきました。 20世紀の科学や経済の発展はそれによって我々の生活が大きく改善されてきたので、それはそれで良かったと思います。 ただバランスが崩れてしまったのです。 21世紀はもう一度人間回帰がなされて、人の幸せや生き甲斐などが重要視された、人間が主役の時代になってくると思います。 社会がいくら発展、繁栄しても、それが人間を幸せにし、人間を成長させていくものでなければ意味がありません。 社会は人間のためにあるので、社会のために人間があるのではないのです。 人間の誇りと尊厳を高めていく社会の構築が21世紀には必要だと思います。 今の社会は人の成長を育み、人としてのすばらしさが評価されるシステムではなく、生産を拡大し効率を上げ利益を生み出すことが評価されている社会になっていると思います。 今の社会に起きている歪み、犯罪や自殺の増大、病気や環境汚染なども全体が共通した根を持っていると思います。 子供の世界に起きている問題-学級崩壊やいじめ、少年犯罪の急増なども社会の歪みが反映しているものだと思います。 教育改革だけでは学校の問題は解決できないように思うのです。人は部分では生きていません。全体で生きているのです。 今の社会で起きている現象も全体の歪みを直さない限り、多くの問題は解決できないように思うのです。 痛いところを治すだけでなく、健康な体を取り戻すことが必要だと思います。 今は社会生活の基盤となる学校、家庭、企業も崩壊の方向に進んでいて、社会全体が不安定で、不安を感じる時代になっていると思います。 「パンドラの箱」というのがあります。 蓋を開けると怒りや憎しみ、妬みやエゴなど人間の負の部分が次々と現れて、最後に残ったものが「希望」というものです。 20世紀の後半はこのパンドラの箱を開けたような状態で、今日21世紀を迎えて感じるものはこの「希望」なのです。 そしてその希望を実現するものは人に誇りと尊厳を取り戻す「愛」だと思います。

人間らしく生きられる社会の構築

最近の犯罪、特に親が子供を殺したり餓死させたりというのを聞くと、何か人にとって一番大事なものが欠けていってしまったのではないかと思います。 人生のスタートに当たり、最も愛について学ぶ時期に、最も愛情を注がれる人達からそのような仕打ちをされた子供達の気持ちを考えたとき胸がひどく痛みます。 親に悪意があるというより、むしろ愛について無知なのではないかと思います。 今の社会では人を愛する事を学び育む文化や環境が貧弱で少なすぎるように思います。 “愛”がいかに生きるべきかという問題に対する唯一の満足のいく答えだとすると、愛の発展を阻害するような社会は人間の本質と矛盾していてやがて滅びていくのだと思います。 今の社会では“愛”は個人に属し、国の政策や企業のあり方という社会性を持っていないのです。 人間としての生き方に方向性を指し示す愛やヒューマニズムが個人に属するのではなく、国のあり方や企業のあり方という理念に含まれて、社会の主要な価値軸となるような社会の構築が必要だと思います。 “愛”という言葉が広く使われているため、人によってイメージが分散するかも知れません。 恋人などに抱く激しく切ない想いや子供や家族に対する愛しい感情、又全ての人に抱くやさしさや慈しみの感情-人類愛のようなものに愛というものを感じる人もいると思います。 根底にあるものはみな同じだと思います。 愛は人間に対し不条理なもの、差別や偏見やいじめなどには激しい憤りを感じさせますし、悲しみには涙を流し、思いやりのある優しい感情には感動する。 人間が人間らしく生きる上での本質的な感性だと思います。 愛する感情は人を損得勘定から解放します。 人の心を本当に満たしていけるのは“愛”ただそれだけだと思います。 愛の報酬は愛ですから、自分から発信していくことにより、次第に人々が喜びと誇りに満ちた成熟した社会が築かれていくと思うのです。 人間が人間らしく生きられる社会の構築を“そうなったらいい”ではなく、強い意志と激しい闘志で構築していくのです。

自分なりの哲学、宗教観

人間というものの理解を深めたり、心を育成していくのに哲学とか宗教というものがあります。 いままでの歴史から見ても、全ての人を満足させる唯一の考え方というのは無いと思うのです。 逆にいろいろな考え方があるということを認めあい、受け入れることによって全体が救われていくと思うのです。 人はみな違うし、同じ事実でも人によって違ったように見ているということを互いに知ることが、人が共存している社会での基本だと思います。 今、宗教界でも主だった宗教家達が集まって統一した宗教観を模索しようという動きがありますが、私の21世紀の宗教観というのは、一人一人が単純に信者になるのではなく、一人一人がある意味で自分なりの宗教観の伝道者となるような宗教のあり方です。 稚拙でもいい、自分なりの考え方や宗教観を持とうとすることです。 頭から信じるのではなく、自分の心の底に触れていくものを取り込みながら、自分で考え、自分なりのものを生み出していくのです。 キリストも仏陀も又宇宙の法則の支配者も全部含んだ神でもいいと思います。 ただ他を尊重することが大事だと思います。 この新しい伝道者達は他の人達に向かってこういうのです。 「私を信じなさい」ではなく、「あなた自身を信じなさい」と。 どの考え方が正しいかではなく、ある意味で全てが正しいのです。 宗教戦争というのは「宗教」に対する考え方の違いが起こしているのではなく、宗教を利用した人間のエゴや欲が起こしているのです。 ですからそれを受けとめる人間の力量を向上させなければいけません。 宗教や哲学というものが人としての生きる道を示し、心の拠り所を与えるものであるならば、考え方の正しさよりも一人一人がその人なりの生きる道を自ら見つけ、自分の生き方に自信と誇りを見いだしていけるような考え方を提供していくことが大切だと思います。 人間社会においては“正解”はいろいろあるし、又それは変わっていくものだと思います。 自ら考え、自分なりの正解を生み出していく事が大切だと思うのです。

戦争をなくせるのは“民意”だけ

あるテレビ番組で「20世紀にやり残したもの」という質問がありました。 私は「戦争をなくす」という事をすぐに思い浮かべました。 犯罪は一部のクレージーな人達が起こしますが、戦争は民族や国家レベルの見識のある指導者達が起こしています。 それ故に容易に取り締まることが出来ません。 アメリカの大統領やイランの大統領は誰も逮捕できないのです。 なぜ民族の誇りや国の威信という旗を掲げ、人々に怒りや憎しみを増大させて、多くの悲劇を生みだしていくのでしょう。 憎しむべきものは「憎しみ」そのものなのです。 これは指導者個人としての問題ではなく、人類全体の問題だと思います。 我々一人一人にその責任があるのです。他の環境問題などと共に、人がそして社会の基準となる価値軸が変わっていくことでしか解決できないと思います。 戦争をなくせるのは私たち一人一人の意志の集合体である「民意」でしか出来ないのです。 私たちがエゴを克服していったとき、戦争も次第になくしていけるのだと思います。 だから21世紀の大きな課題だと思うのです。 「自分の町や村に橋や道路を作ってくれた人」をリーダーとして選んでいては、世の中は良くなりません。 もちろん橋や道路も必要です。 でも日本全国に作ろうという人を自分達の町から選ぶという誇りが大事です。


戦争は20世紀に残した人類全体の負債として我々全員が負っていくことが必要だと思います。 戦争で傷ついた人達を救うことや何億何千万と埋められている地雷を撤去する事を一部のボランティアの人達や善意の募金で償っていくのではなく、世界中の一人一人がその返済の責務を負い、国の事業として国の予算を使って償っていく性質のものだと思います。 そうすることによってみんなが戦争の無益や悲惨さを考えざるを得なくなり、民意が向上して歯止めがかかってきます。 そして次第に愛情や慈しみが社会の中心に位置づけられ、私たちの住む世界が住み易くなっていくのではないかと思います。

考えること、そして強みを生かすこと

ビジネスの世界を考えると、21世紀は「知価社会」になるであろうといわれています。 世界を支配していくのは武力から経済力になり、そして今は知力になってきているといわれています。 労働も肉体労働は減って知識労働が増えていきます。 企業においても主力となる経営資源は資本や商品やノウハウではなく、そこで働く人達の一人一人の知識、知恵です。 別の言い方をすると企業は人で決まってきます。 この変化の激しい時代にはいい商品もいい技術やいいシステムもすぐに陳腐化します。 人の知恵のみがこの変化に対応できます。 いい人が集まり、人が成長する文化のある企業が伸びていくと思います。 この新しい知価社会においてどのように自分の知価価値を高めていったらいいかということについて話したいと思います。


まず第一に「考えること」です。 自分にいくら知識や能力があってもそれが成果を生み出さなければ何にもなりません。 どのようにしたら自分の持っている力を成果という形で外に現せるか? 「考える」ことは人間が持っている最も偉大な力です。 「どうしたら業績責任を果たせるのか?」 「チームの状況をよくするにはどうしたらいいのか?」 「自分は将来どうありたいのか?」 「どのように生きたいのか?」。 とにかく漫然と生きるのではなく、いつも考え、そして行動し又考える。 そうして自分の知の価値を高めていくのです。


第2に「自分の強みで勝負する」ことです。 人はみな生まれてきたからには自分の使命を持っています。 それを実現するために自分の強みを授けられているのです。 弱点の矯正はあとでいい。 自分の強みを探し、磨いて、余裕が出来たら弱みを直せばいいのです。 偉大な天才というのは別のジャンルでは落第生であることが多いのです。 自分の強みは得意なこと、好きなことに多くあります。 またそれは普段普通にしていて出来てしまうことが多いので、自分では意識していないことが多くあります。 「誰とでも気軽に話せる」とか「5年間無遅刻無欠勤」とか、出来る人には簡単に出来てしまう事なので自分の強みとは意識していないものです。 自分の強みを探し、それを今の与えられている役割や責任の中で成果を出せる具体的な力として形にしていくのです。 そしてその強みを他の人の持っている強みと連携させていくのです。 専門家の産出物というのは他の専門家の産出物と統合されて、初めて組織の中で成果となりうるのです。 それがオンリーワンの精神です。

経済を従えて理想を実現しよう

良い会社を作って、良い社会を築くことに貢献していこう。 素敵な家庭というものはたくさんの金や大きな家や快適な環境では作られない。 素敵な家庭を作れるのは家族一人一人の気持ち、ただそれだけです。 同様に素敵な企業や社会もそこで働き生活している一人一人の気持ちだけでしか作られないのです。 21世紀は資本主義でも社会主義でもない、新しい理念を持った社会が登場すると思います。 新しい社会はどうなるかを想像するのではなく、自分たちでデザインしていくのです。 これからは競争ではなく共生の社会です。 これからの戦いは相手を倒す戦いではなく、相手と手を取り合う戦いです。 より困難は伴いますが、自分の誇りを高めていく戦いです。 我が社は中小企業の情報化を支援していくことを使命としています。 今、中小企業の経営者達はこの新しい変化に直面して苦悩しています。 我々の知恵と技術をもって、彼らを支援し、新しい社会を構築していくことに貢献していきたいと思います。


理想を持とう。そして現実の力を付けて現実を理想に変えていこう。 我が社にはその新しい社会を担っていく企業として大いに希望を感じています。 自分で考え、自発的に動き、自由な風土のなかで自らが負っている責任を果たす。 他を尊重し、他と連携して自分もみんなも成長させていく。 人間を中心に据えて、人としての誇りを高め、人間の尊厳を深めていくような社会を築くことに貢献できるような企業にしていきたいと思います。 理想を具現化するには現実の力が必要です。 収益を上げ、経済を従えて我々の理想を築き上げていきましょう。

平成13年1月9日

株式会社エスピック 代表取締役社長・島 至