品 格

去年の流行語大賞に「品格」が選ばれました。私はこの品格という言葉が好きです。我が社の理念である「Good People Company」。ここで言っている「いい人」や「人間力のある人」、「人として成長する」ということはどういうことなのか?それは人としての「品格」を高めることではないかと思います。そこで今年はこの「品格」について考えてみたいと思います。

傍観者になるな

去年は小中学生のいじめによる自殺などがさらに増え、「いじめ」の問題が又クローズアップされてきています。教育基本法の改正など教育現場の見直しも盛んですが、社会風潮のなかにもこのいじめの根があると言われています。いじめる側の人に対して「いじめないで」とか、いじめられている人に対して「負けないで」といった声がよく聞かれますが、僕はこのいじめの問題の根っこ、そして解決の糸口は当事者ではなく「傍観者」にあると思います。いじめの目的は物理的に危害を加えることではなく、相手の尊厳を貶めることにあるのです。そして相対的に自分の尊厳の継続や回復を図ろうとすることにあると思います。なぜ被害者は先生や親に相談しないのか?それは自分の尊厳が傷つけられていることを知られたくないからです。大人の社会にもよくあることです。自殺者を出した校長が「子供の世界では悪気がなくても“臭い”、“汚い”、“死ね”などと言ったり、ちょっとした喧嘩や仲間はずれにしたり、ということはよくあることだ。そういった中で人間関係を学び、精神性を養っていく。こういったことはどのクラスにもあるし、どの子供にも被害者や加害者になる可能性はある。」と言っていました。自殺者を出した学校の校長が言うと言い訳のように聞こえますが、一理あると思います。問題は当事者以外の他の子供達が自分がいじめの対象にならないために加害者側についたり、傍観者になったりすることだと思います。弱いものいじめや差別、不当なものには「ダメだ!」と言える心、小さな勇気を育んでいくことが大事だと思います。どこの社会にもいじめをするような人は何人かはいるものです。いじめをする子が一番いけないのですが、それを他の子が傍観している風土に問題があると思います。見て見ぬふりをせず、ダメなものはダメだと言い、集団を良い方向に引っ張っていく人を育てて集団の文化を変えていくことが大事だと思います。勿論、親や先生も傍観者になってはいけないし、私達も自分の子供にそういう状況に出会ったら、勇気をもって毅然と対応しろと、教えていく必要があると思います。

指導者は集団の利害を超えて王道を示す

今、北朝鮮問題も世界の大きな問題となっています。六カ国協議を開いてもなかなか各国の利害が対立して問題解決が進展しません。勿論北朝鮮は言語道断な国です。人をさらい、偽札や麻薬を国家レベルで行っているような行為は決して許すべきではありません。六カ国協議が進展しないのは各国の利害が対立し、「こういった行為は絶対に許さない」という一致した強いメッセージを発信できないからです。ここでも当事者(北朝鮮に対する当事者はアメリカというより、直接の脅威にさらされている韓国や日本だと思います。)以外の直接の脅威が少ない中国やロシアの態度が大事だと思います。国家戦略上の利害が関係しているのでしょうが、国連などでの制裁決議などにむやみに反対していると、金正日に足元を見られてしまいます。独裁者は狡猾で他人の心理を読むのに長けていますから。リスクをとってでも、まずは「ダメなものはダメ」とした毅然とした態度を示す事だと思います。その上で現実的な対応を模索していくことだと思います。国家の指導者は国家の利害を超えて王道を示す。それこそが他の国の信頼や尊敬を集めて行き、先々に国家を繁栄させていく道だと思います。私自身もエスピックだけの利に捕らわれず、お客様や協力会社の人達も含めた、皆にとって何が良いかの判断を常に心がけて行きたいと思っています。各チームリーダーの人達も然りだと思います。

日本人としての誇り

品格を上げる上で、自分の所属している組織を愛することも大事だと思います。私が若い頃アジアを旅行していて、日本のビジネスマンが金にあかせて横柄な態度をとったり、品のない行動をとったりした場面に出会いました。その時同じ日本人としてとても恥ずかしいと感じました。この「恥ずかしい」という気持ちが大事だと思います。自分の態度や行動が自分の所属している組織や集団の評価に繋がっていくのですから。私は世界を旅行していく中で、出会った様々な国の人達に日本人はすばらしいと思えるような行動をとっていきたいと思います。


今までいろいろな国を旅行して、よくどの国が一番いいかと言う質問を受けるのですが、私は日本が一番すばらしいと思います。理由は、第一に四季に応じた自然がすばらしい。同じ緯度にあっても中国やアメリカにはこういった季節感はありません。四季折々に見せる美しい自然があります。第二に日本語がいい。同じ言葉でも漢字、ひらがな、カタカナで書くと全然印象が変わる。微妙なニュアンス、言い回しは日本語が一番です。英語で訳すと「あなた」も「お前」も「てめえ」も全部「YOU」です。言霊という言葉は日本語のためにあるのではないかと思います。第三に日本人の宗教観です。一般的な宗教観として結婚式は教会で行い、子供が生まれると神社に行き、死ぬとお寺に入る。日本には今世界で対立の大きな要素となっている宗教的対立があまりありません。この押し付けの少ない宗教観が僕は好きです。他の宗教や文化、価値を抵抗なく受け入れる日本人の資質や価値観は世界に広めていくべきものだと思います。第四に食文化です。日本食はとても繊細で美味しいですし、カレーやスパゲッティや中華料理のような世界各国の料理を町のどこでも、普通の家庭の食卓でも食べられます。まだいろいろあります。格差社会といっても貧富の差のとても少ない国です。また日本はとても安全な国です。日本の警察も優秀ですが、夜誰も人が通らない所にお金が入っている自動販売機があんなにある国は日本だけです。他にもいろいろ上げればきりがありません。


私はこの日本という国が好きですし、日本人としての誇りを持っています。ただこの日本人としての誇りを高めていくことは、他の国の人々と接するときに日本がすばらしいと表現することではありません。それぞれの国のいい所を尊重し、国籍を離れて同じ人間として接していくことです。自分は日本人である前に地球人である、同じ人間であると言う立場で接していくことです。そして自分が少しでもいい人間であれば、自分と接した世界の人達は日本を、日本人を好きになっていってくれます。ナショナリズムを大事にするのではなく、インターナショナルになることによって真の日本人としてのナショナリズムが生まれてきます。個人がすばらしくなっていくことによってその人が属している企業や社会、国に対する評価が上がっていくのです。今、日本にも世界の人達がたくさん働きに来ています。その人達と接する機会も多くあると思いますが、その時に見下した態度をとったり、又逆に卑下したりすることは恥ずべきことです。国籍や人種、職種や貧富などで態度が変わるような人を私は信用できないし、嫌いです。偏見がなく一人一人の人としての尊厳を認め、敬っていく姿勢が品格を高めていくことに繋がっていくのだと思います。

惻隠の情

個人としての品格を上げる、それはすなわち人格を磨くと言うことになると思いますが、そのためには人としての情感を磨くということも大切です。先のいじめの問題でもそうですが、弱いものをいじめたり、集団で一人の人をいじめたりするのは卑怯です。そしてそれを傍観しているのも卑怯な態度です。僕は「弱いものをいじめるな」とか「困っている人を助けろ」と言っているのではないのです。ただ泣いている子供を見ると「かわいそうだな」と思い、困っている人を見ると「何とかしてあげたい」と思う自然な心を大切にして、もっとそういう情感を育てていきたいと思っているのです。そういう「惻隠の情」を深くしていくことが、人格を磨く上で大切だと思います。勿論ただ単なるお人よしになってはいけないし、行動していくには状況や事情も考慮していくことも必要だと思います。  昔インドに旅行したときに小さな浮浪者にお金をあげました。そうすると次々に子供がやってきてお金をくれと僕の周りを何重にも取り囲んで、ゆっくり歩くことも出来ませんでした。一人の子にあげるとあの人はお金をくれると情報が伝わって、多くの子供たちがやってきてしまうのです。それ以来かわいそうだなと思ってもあまりあげませんでした。ある時ネパールに行ったとき、赤ん坊を抱いた母親の路上生活者がお金をくれとやってきたのですが、かわいそうだなと思いつつもお金をあげなかったのですが、ふと見るとガイドの人がその人に陰でお金をやっていました。それを見てああ悪かったなと思い、それ以降は状況に応じて時々お金をあげたりしていました。今度は中国に行ったときのことですが、紫禁城の近くで小さな流浪者がお金をせびってきた時にあげようとしたら、ガイドの人が絶対にお金をあげないでくださいと止められました。貧しい子供が簡単にお金を稼いで働かなくなるから、だめだと言うのです。どう行動するかは国の文化や状況で変えていかなければいけないので、「惻隠の情」も難しいものだなと思いました。

目先の利に捕らわれない

自分の品格を高めていくためには、リスクをとってでも「ダメなものはダメ」と王道に沿って行動し、目先の利に捕らわれず、大きな視野を持つことが大事です。「人を差別するのは反対だけど、あの子がうちのチームに来るのは嫌」とか「高齢者が安心して幸せに暮らせる社会の実現には賛成だけど、税金をもっと払うのは嫌」とか言っていたのでは品格は身につきません。自己の利や目先の利を追うのではなく、もっとあるべき姿を見つめ、自分の生き方を磨いていくことが、最終的に大きな利につながっていくものだと思います。目先では一見ちょっと損をするのがいいのです。皆が嫌がる仕事は進んでやり、一銭にもならなくても皆にとっていいと思うことはやる。そういう姿勢が周りの評価につながり、あとで大きな利となって返ってきます。天に貸しを作りましょう。それと決して不平、不満、悪口などは言わないほうがいいと思います。自分を汚し、自分の品格を貶めていくことになります。

ハチドリの心意気、自分の出来ることをする

南米のアンデスの原住民に伝わっている話に「ハチドリのひとしずく」という話があります。山火事があったときに山の動物たちがわれ先にと逃げ出していったのですが、でもクリキンディという名のハチドリだけは行ったり来たり、くちばしで水の一滴を運んでは火事の上に落としていきます。動物達はそれを見て「そんなことをして何になるのだ」と笑うと、ハチドリは「私は私の出来ることをしているだけ」と答えた、という話です。 「今私にできること」を問いかけている話ですが、ハチドリに「品格」を感じます。  今、社会は新しい時代に変わっていく過程としていろいろ混沌としてきています。犯罪も自殺もストレスも増してきています。新しい、いい社会を創るためにハチドリの心意気に学び、今自分に出来ることを行動することが大事です。傍観者とならずに、毅然と立ち向かっていく自分を作っていくことです。自分に自信がなければ、自分に自信をつける最高の方法があります。それは「約束を守る」ことです。小さな約束でいい、自分で約束したら必ずそれを守ることです。年の初めにいろいろ目標を立てた人も多いかと思いますが、自分に約束したら必ずそれは守ることです。そうすると自分に自信がついてきます。 一人一人が自分を磨き品格を高めていけばエスピックとしての品格も高まり、それがひいては国や世界の品格を高めることに繋がり、より良い社会が創設されてくるのです。


誇り高く生きていこう!

平成19年1月10日

株式会社エスピック 代表取締役社長・島 至