ポリシーを具体的に表現する
去年もイラク戦争を筆頭に暗いニュースがいろいろありました。 世の中がだんだん悪くなっているという人もいますが、私はマクロ的に見れば世の中はだんだん良くなっていると思っています。 フセインもヒトラーほどは残虐ではないし、江戸時代には無礼を働けば「切り捨て御免」もしょうがないと一般庶民にも受け入られていました。 50年、100年単位でみれば人の生活も向上し、人の意識も上がってきていると思います。 人は本能的に暗いニュースや悪いニュースを好むので、新聞やマスコミも悪いニュースを中心に流しますが、人の意識も上がってきているので、そろそろいいニュースをもっと出す新聞などが現れてもいいのではないかと思っています。 政治に関する情報でも政策の欠点や欠陥だけでなく、いい点はどこかということも知りたいのです。 両面を均等に報道してくれると、我々ももっと深く理解できると思うのです。 当初は一時的に売れ行きなどが悪くなってもそういうポリシーのあるマスコミは今後伸びていくと思います。
戦争をなくすためには「戦争反対!」と叫んでいるだけではなくならない、戦争をなくすためには戦わなくてはならないこともあるということも理解しています。 危険だからという理由だけで日本だけはイラクに人を送らないというのでは他の国の人に説明がつかないし、今の世界での日本の役割と責任を果たすことはできないと思います。 ただ戦い方や貢献の仕方にポリシーが欲しいのです。 納得できるポリシーを示し、それを具体的な行動で表現して欲しいと思うのです。 例えば私だったら今回のイラクの戦後における日本の貢献に関しても、戦争の意義を胡散臭いものにしている「利権」に関しては明確に「日本は一切関与しない」ことを宣言したいと思います。 戦争は当事国だけでなく人類の罪だと思うので、例えばアフガニスタンに1千万個以上残っていると言われている地雷の撤去をNPOだけに任せておくのではなく、日本が中心となり国連に呼びかけて、まずわが国から人、技術、金を出して、国レベルで解決していく。 勿論危険は伴いますが、そのほうが日本の国民感情からも納得しやすいし、今回のイラクへの自衛隊派遣程度の拠出でかなりの結果が出せると思います。 そういった貢献の仕方の中に日本らしさというものが出てくるのだと思います。 そういう具体的な行動の中で世界が日本のポリシーを理解し、新しい世界を作っていくイニシアチブを日本が担うことができると思うのです。 今、新しいリーダーたちに求められているものは新しいビジョン、ポリシーを明確にして、それを具体的な行動の中で示していくことだと思います。
環境や社会を変えたければ自分を変える
私は人にとってよりよい新しい社会や新しい企業を作っていきたいと思います。 人はよりよい環境にするために環境そのものを変えようとしますが、環境を直接変えようとしてもそれはなかなか難しいものです。 でも自分が変われば環境も変わります。 逆に自分が変わらなければ自分の周囲の環境も変わりません。 あるべき姿を真剣に考え、情熱と信念を持ってそれを実践していく。 すぐには結果は出ないものだし、批判もされるかもしれません。 結果がでないのは物事に対する自分の洞察力が浅いし、想いを表現する力が弱いからだと思います。 だからそれらを糧として勉強しながら自分を深めていくのです。 そして自分の生き方として信念をもって続けていけば必ず結果は出てきます。 自分の周囲に起きていることは全て自分の責任です。 「金をくれ!」と言ってお金が入ってくるわけがありません。 余計に嫌がられます。相手が払いたくなるような動きをすればいいのです。 「愛してくれ!」といくら言っても愛されません。しつこいと余計嫌われます。 愛される自分を作るしかないのです。 自分の気持ちをコントロールして、周囲の人たちの想いに答えられるような自分の器を作ることです。 仕事をしていれば「忙しすぎる」、「評価が低い」、「やりがいがない」などの思いに駆られることもあるでしょう。 それらを解決するのは自分だけです。 どんな厳しい環境に居ても、そこで最善を尽くしていれば、それを上司が認め、お客様が認め、次第に責任のある仕事やたくさんの給料が入ってくるのです。 外にいい条件を求めているだけでは状況は良くならないばかりか、次第に悪くなっていきます。 自分が変わらない限り状況は良くならないのです。今の社会は乾いていると思います。
「心を変える」ことより「言葉を変える」こと
自分を変えよう、高めようとすると、人は自分の人間性や意識を高めようとしますが、人はそのままで完璧、100点満点なのです。 人は皆そのままでとても素晴らしい、美しい存在だと思います。 あとはそれを表現するだけなのです。 人は心を変えようとするから難しいのです。 言葉を変えれば心も変わってきます。 よほど人間が出来ていない限り心は自分の意思に反していろいろマイナスな感情が出てきます。 ただ外に出さなければ何の影響もないのです。 頭にきても外に出さなければ何のマイナスの影響もありません。 人を殺したいと思っても心で思っているだけではそれは罪にはなりません。 人の心はお互いにわからなくて良いと言うよりわからないから良いのです。 もし全て相手の心がわかったら人間関係は破綻します。 全てお見通しでは恋はできないのです。 美しい誤解が大事なのです。 また何も実行しない実力は意味がないのと同様、相手に伝わらない愛や優しさも意味がありません。 心の中でいくら愛していても何も言わないのでは愛は存在しないのと同じです。 又ストーカーのように自分の勝手な思い込みだけで相手に嫌な思いをさせるものも愛とは言いません。 心の中で「頭にきた!」と思っていても、「いつもありがとう。あなたのおかげでいつも幸せよ!」と言う中に愛は存在しえるのです。 人生にとって大事なのは心の持ち方より言葉の使い方です。 やさしさや愛は言葉にして初めて命を得るのです。 言葉によって状況が変わり、状況が変わるから心が変わってくるのです。 「私は幸せだ!」と常に言っていれば幸せになります。
「永遠と無限」の本質は「今・ここ」にある
常に今やるべきことに最善を尽くし、「今・ここ」を深く見つめていくことが人生として成功する上でも、幸せに生きる上でも最も大事な事だと思います。
宇宙を構成しているものは永遠と無限です。 永遠は永久という長さを表しているのではありません。 一生を貫くような一瞬の深さを意味しているのではないかと思うのです。 今日最高の一日を過ごすことができたなら、その後の人生がどんなに辛いものだとしても、その思い出を思い出すだけでいつでも幸せな気持ちで満たされるようなそんな一日を過ごすことができたら、そのほうが永遠に近いと思います。
無限の本質も「ここ」にあるのだと思います。 世界には何十億という人がいますが、世界中を探したとして、今愛している人以上に深く愛せる人に何人出会えるのでしょうか? 今愛している自分の子供達以上に愛せる子供に巡り合うということがあるのでしょうか? 今出会っている人たちも無数の偶然、いやむしろ非常に綿密に織り成された人生の必然の末に出会っている人達だと思います。 あの時もし大学を落ちていたら・・あの時偶然声をかけていなかったら・・ 生命誕生の神秘的なメカニズムのように何億、何十億の人の中から世界でもっとも会わなければいけない人たちに出会っているのだと思います。
今いる環境も多くの必然によって導かれたところです。 ここの環境がいくら厳しくても、それは自分が選択したものであり、この厳しさは自分が自分に課した課題なのです。 それを最善にしていくことに全力を集中することが大事なのです。 今、身近にいる人を深く愛することが出来たなら世界中の人を愛することができます。 今いる環境を素敵にすることが出来たなら、どんな環境に行っても素敵な環境の中で過ごす事ができます。
こんな話があります。 「自分達の乗っている船が火災を起こし黒煙をあげているのを見て、どの程度の火災か確かめもせず、何人かが安全を求めて海に飛び込んだ。 哀れにもある者はさめに食われ、ある者は何ヶ月もの漂流の末餓死した。 火災を消化した者達が、その後目的地にたどり着いた。」
「 今・ここ」に宇宙の意思と本質があります。 宇宙の意思に沿って生きていけば当然物事はうまく行くし、幸せに生きていけます。 「今・ここ」を最善に生きることが生きる上で最も重要なことです。 「今・ここ」は刻々と変わっていきます。 それを常に最善に生きていくことが出来るようになれば宇宙の本質である永遠と無限を手に入れ、豊かで穏やかで幸せな人生を手に入れることが出来るのです。
今やるべきことに最善を尽くす
今、うちの社員は潜在能力を感じさせる若くて優秀な社員がたくさんいます。 ただまだ経験が少なくそれを生かしていく能力が磨かれていないと思います。 技術力や知識はこのままやっていけば次第に磨かれていけると思いますが、人や物事の良し悪しを直感的に見抜く直観力、プロジェクトや会社全体を俯瞰的に見る力、数年後や数十年後の先をみる先見性などの力は意識的に高めていく必要があります。 そのためには今やるべきことに最善を尽くすことです。 ここを最良の状態に自分の力で変えていくことです。 そうしていくうちに将来の目的地や自分の人生の使命を見つけていくことが出来るのです。 一流の人というのは一流の大学を出て、一流の企業に勤める人ではありません。 どこへ行ってもそこを一流に出来る人のことです。 自分と付き合っている人がみな素敵で幸せになっていくような人が一流の人だと思います。 そうすれば例えどこへ行っても通用する人間になります。
私はそんな人物を育てていきたいのです。