王道を生きる

昨年はその年を象徴する漢字として「偽」が発表されました。相次ぐ食品偽装などでいろいろな「嘘」が露呈して、何十年も信用を築いてきた大手の会社が危機に陥りました。政治の世界でも年金問題や接待汚職、不穏当な失言などで多くの政治家や官僚が失脚していきました。食品偽装などでは確かに実害などはあまり出ていないケースもあり、昔は「寄らば大樹の影」とか「長いものには巻かれろ」とかの風潮があって、ちょっとした事ぐらいでは大手の企業はびくともしなかったのですが、最近は例え小さなことでも不正は許さないぞという風潮が強くなってきて、実害を出さなくてもその背後にある「嘘」や「偽」に対し、社会は厳しく「ノー」を突きつけるようになってきたのではないかと思います。これからは目先の「利」を求めている会社や「利益第一主義」で「誠」のない会社は淘汰されてくるのではないかと思います。


これからの企業のあり方として企業理念やポリシー、又人としての生き方としても哲学などが大事になってくるのではないかと思います。どのように生きていくかというと、それは「王道」に沿って生きていく、「原理・原則」に沿って生きていくことが大事なのではないかと思います。「王道」そのものは全然難しいことではなく、「人を騙さない」、「約束を守る」、「他人に優しくする」など小学生でも知っていることばかりです。でも簡単なようですが日々の中でこれらを貫き通す事が難しいのだろうと思います。貫き通すには王道を歩こうという強い決意を持って、「人としての誇り」を強く、高く持ち続けることだと思います。王道を歩むには、自らが「誇り高く生きる」ことが大切なのだと思います。そしてこれからは「人」や「人のこころ」を大切にし、人が成長していく文化を持った企業が伸びていく時代になったのではないかと思います。これからのリーダーは「才覚」よりも「人格」が求められているのではないでしょうか。急成長していく企業や一代で大きな企業にしていく人は、もとより「才」に秀でているのでしょうが、「才子、才に溺れる」という言葉もあるように、その人の考え方、生き方に「徳」がなければ、マイナスの方向の努力となってしまい、どこかでつまずいてしまうのだと思います。

自由な風土

今の世の中は情報化社会となって、その情報を悪用して、人を騙そうとあらゆる詐欺などが横行するようになりました。それ故個人情報保護法やいろいろな規則が増えてきて、少し息苦しい社会になってきたのではないかと思います。騙されないようにいろいろ防御することは大切だと思うのですが、さらにそれを騙そうとする人がいる限りこれはどこまでもいたちごっこのようになって、ますます息苦しい世の中になっていくような危惧を感じないわけではありません。「騙されない」ようにするのではなく「信じあう」ような文化や風土を創っていくことが大事なのではないかと思います。「人」こそが一番大切で、すばらしい人がどんどん育っていくような企業文化を創っていく事が大事だと思います。一人一人が人として成長していけば、ルールなどは最低限にして、もっと自由で一人一人の特性を生かせるような企業文化が出来てくると思います。


我が社もよく「自由な会社」だと言われることがありますが、自由というのは好き勝手が出来るということではありません。背後にある義務や責任を果たしていくと人は自由になっていけるのです。自分がやるべきことをやっていくと周囲の人の同意や協力が得られて、次第に自分の好きなことが出来るようになるのです。自分がやるべき事をやらない人が自由に好きなことが出来るようにはなりません。組織の中に人が見ていなければサボったり、このぐらいはいいだろうと悪いことをしたりする人がいたら、いろいろルールを作ったり、ペナルティを強化したりせざるを得なくなります。誰も見ていなくてもちゃんと自分がやるべきことをやっていく。そういう人が増えていくことによって少しづつ自由な文化が形成されてくるのです。自由な風土は創ろうと思ってすぐに創れるものではありません。我が社の自由な風土は社員一人一人の成長とともに次第に勝ち得てきた我が社の資産なのです。

極楽と地獄

素敵な社会を作り上げられるのは素敵な心からだけです。「経済力」や「快適・便利」などの環境を作り上げるだけでは素敵な社会にはなりません。京セラの稲盛和夫さんの著書にこんなことが書いてありました。


―ある修業僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどのようなところなのですか?」と尋ねました。すると老師は次のように答えました。


「確かにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上は全く同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人達の心なのだ。」


老師が語るには、地獄と極楽には同じような大きな釜があり、そこには同じように美味しそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところがそのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかないのです。


地獄に住んでいる人は皆、我先にうどんを食べようとして、争って食べるのですが、あまりに箸が長くてうまく掴めません。しまいには他人のうどんを奪おうとして喧嘩になったりして誰一人として満足に食べられない。美味しそうなうどんを前にして誰もが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。


それに対して極楽では、同じ条件でも全く違った光景が繰り広げられています。誰もが自分の長い箸でうどんを掴むと、釜の向こう側にいる人の口に運び、「お先にどうぞ」と食べさせて上げる。そうして今度はその人が「ありがとう。今度はあなたがどうぞ」といってうどんを食べさせてくれる。ですから極楽では皆が穏やかにうどんを食べることが出来、満ち足りた心になれるのです。-


あの世でなく、この世でも同じような環境の中で極楽と地獄があるのではないでしょうか?それはそこに住む人達のこころの様で地獄にも極楽にもなるのだと思います。素敵なこころをもった人達が増えていってこそ、素敵な社会になっていくのです。素敵な会社はそこで働く人の素敵な心でしか創られない。素敵な人生は自分の素敵なこころでしか創られないのです。

「ふり」をする

素敵なこころは素敵な思いから創られていく。「思いは実現する」というのは最近では広く知られているところで、これは20世紀最大の発見と言われています。ただなかなか強く本心からそう思いきれないもので、疑いの気持ちがあるとその疑いのほうが実現してしまうのです。自分の「利」や「欲」ばかりを強く思っても、他人との摩擦などが生じて、なかなか純粋に本心からそう思い込むことが出来ないのではないでしょうか?やはり誰もが素敵だと思ってくれるような素敵な思いこそが、次第に自分の中に強いイメージとなって、根を張っていくのだと思います。それでも人のこころは弱く、なかなか初めからそうは思い込めないものです。そう思い込むには最初は「ふり」をすればいいと思います。幸せになりたければ幸せのふりをする、好きになりたければ好きのふりをすればいいのです。そうすると次第にこころも本当にそう思えるようになってきます。いい人のふりをすると次第にいい人になっていきます。勿論その過程でいろいろ葛藤することになります。優しい人になりたくて人に優しくしても、なかなか相手に通じなかったり、相手がいい気になったり、ついには騙されたりすることがあります。本当の優しさはこころの痛みを乗り越えていかなければ身に付きません。その葛藤を乗り越えてこころを磨いていってこそ本当に優しい人になれるのです。磨くということは無数の傷をつけるということなのです。それ故、素敵に生きていくには強い意志が必要なのです。素敵な思いというのは意志に属しています。感情に拠って生きていると次第に悲観主義に陥ってしまうのです。

大きくて深いところを意識する

人は誰でも「お金を儲けたい」「愛されたい」「幸せになりたい」などの欲求は強くあると思います。ただ自分勝手に自分の目先の「利」ばかりを考えていても、なかなかそれは実現されません。実現するにはもっと大きく考えて、深いところで意識する必要があると思います。


僕はいろいろ世界を旅行していますが、外国の人と接する時、自分が日本人として意識して行動するのではなく、世界人として、同じ人間として意識して行動するようにしています。世界の人から僕がいい人だと思われると、僕は日本人だから日本人はすばらしいと言われます。当社の社員もエスピックにとって良いというより、お客様にとって良い、皆にとって良いという視点で一人の人間としてすばらしい行動をとれば、エスピックの社員なのだから「エスピックという会社はすばらしい」と言われるようになります。男らしく、女らしく、というより、自分らしく、人間らしく行動すれば自然と男は男らしく、女は女らしくなってくると思います。「自分にとって良い」ではなく「皆にとって良い」事を意識し、そういう行動をとっていくと「自分にとって良く」なっていきます。『自由』のところでも言いましたが、「自分がやりたいことが出来る」ようになるには「自分がやるべきことをやっている」とそうなっていきます。「こんな仕事は嫌だ」とか「自分のやりたい事は違う」とか言って、今やるべきことをおろそかにしていては、自分のやりたい事も、夢も実現されてきません。今あるステージで最善を尽くす人が、次のより高いステージに進むことが出来るのです。今自分に用意されているステージが、創造主が自分に求めていることです。それをおろそかにして、自分の意思ばかりを貫こうとしても、それは創造主の意思に反している訳で、うまく行く訳がないのです。

リーダーは王道を目指す

組織はリーダーによってほとんど決まると言っても過言ではないと思います。リーダーには「徳」のある人を選びたいと思います。リーダーは勿論「自分にとって何が良いか」ではなく、「みんなにとって何が良いか」の判断基準を持っていることが大事です。才よりも徳のほうが大事ですが、ただ本などでいろいろリーダー像を見ていると、皆徳性は勿論備えていますが、能力や実力も秀でています。能力の研鑽も怠らないようにしていかなければいけません。実現するには力が必要なのです。自己研鑽ぐらいは簡単に出来なければなりません。


リーダーは王道を行き、自分を磨き、徳を備えていく。そして組織や社会をいい方向に引っ張っていってほしいと思います。勿論あまりストイックになって生きていく必要はないと思います。自分の力に応じて少しずつ磨いていけばいいと思います。昨年の暮にテレビで「忠臣蔵」を見ましたが、リーダーとしての力量は潔癖で直線的な浅野内匠頭よりも、腹にしっかりとした意思を秘めた大石蔵之助のほうに強く感じます。一人一人が素敵で、徳のある魅力的な人になる。人を大切にする文化があり、そういう人材がどんどん育っていくような会社にしていきたい、というのが我が社の「Good People Company」に込められた思いです。


今年も我々一人一人の成長とともに、エスピックという会社を少しずつ素敵な会社に前進させていきましょう。10年後が楽しみです!

平成20年1月7日

株式会社エスピック 代表取締役社長・島 至