2015年の年頭所感

この世界は不条理な世界

昨年もイスラム国の誕生に代表されるようなテロの頻発、ロシアによるクリミヤ半島への侵攻など暴力や力による支配と言うように、時代に逆行するかのような事件が多くありました。マララさんのノーベル平和賞の受賞といった喜ばしいニュースがあると、それに対抗するようにタリバンによる学校襲撃事件などが起きます。世界はなんで人々が望んでいるような世界に少しずつ進歩していかないのだろうかと思います。

去年、私は妻とインドに旅行に行って来ました。私にとっては44年ぶりのインドだったのでどんなに変わったのか楽しみにしていましたが、確かに道路や建物は少し良くなっていましたが、ガンジス河の沐浴風景や街の汚さ、喧騒と混沌の世界は相変わらずで、人々が営む社会の在り様というのは本質的には何も変わっていないのではないかと感じました。多分2000年以上も前に仏陀が街に出て感じた、人々の苦悩や社会の在り様と言うのは、今も本質的にはあまり変わっていないのではないかと思いました。孔子やソクラテスの時代から物質的には驚異的な進歩を遂げていますが、人の心と言う面ではあまり進歩していないのではないだろうか?・・この世が愛と平和で満たされていては魂が磨かれないので、この世はこのような不条理な世界になっているのではないだろうか?・・この混沌と不条理な世界こそがこの世の完璧な姿で、人は魂を磨くという目的のために、わざわざこの世に生まれてきたのではないだろうか?・・などと思いました。

両面で成り立っている

この世では正反対となる両面が同時に存在しているように思います。プラスとマイナスが両方ないと物質が存在できないように、悪い人がいなければ良い人も存在できない。悪いことがなければ良いこともない。自分のミッションに向かい何かを為そうとすれば天は試練と支援をもたらします。訪れた試練を乗り越えることに拠って、支援が得られるようになるのです。この世では全てが正反対で同時に存在し、完全なバランスを保っているのではないだろうか。現象や事実はただそれだけで、悲惨なことや素晴らしいことは解釈の問題だけなのではないのだろうか。嫌なことや辛いことばかりなのか、素敵なことや喜びで満たされている人生なのかはその人の受け止め方の問題で、同じ状況や環境でも幸せな人と不幸な人はいるのだと思います。1万円もあって豊かな気持ちになるか1万円しかなくて貧しい気持ちになるかは自分の捉え方次第で決まるのです。大変なことが起きた時や辛い時は天が何かを伝えようとしている時で、それに気づくともうそれについては教える必要がないので、これからはもうそのような事が起こらず、人生のステージが上がってくるのだと思います。不運を嘆いてばかりいると、気がつくまでいつまでも同じような事が起きてきます。心がマイナスの感情の時は反対側のプラスの見方や感じ方を捉えていくと、心がバランスのとれたニュートラルの状態になり、それ故最高のパフォーマンスを発揮できるようになるのだと思います。だからプラス発想が大切だと言われているのではないかと思います。そのような状況にもっていく為の最高の武器は、私は「感謝」だと思っています。辛い時でもその事によって成長できるのだと感謝をしていると、やがて支援がやってくるのです。

「ありがとう」と心の中でつぶやいていると、心が落ち着いてきます。

美しい人

今年は羊(未)年です。羊で思うのは羊のリーダーの話です。羊は群れをなして生きていますが、肉食動物によく襲われます。羊のリーダーは一般的に強くて体の大きい羊がリーダーになりますが、そのリーダーは羊の群れが肉食動物に襲われた時、仲間の羊達が出来るだけ遠くに逃げられるようにするため、一番後ろで襲ってくる動物たちと戦ってよく犠牲になるそうです。そういう羊がリーダーとして選ばれると聞きました。

「美」と言う字は大きい羊と書きます。美しいというのはこの羊のリーダーのような存在の事を示しているように思います。だから「美しい人」というのも人のために動く人ではないかと思います。又「義」と言う字も我の上に羊がいます。義のある人と言うのもこの羊のリーダーのような人のことではないかと思うのです。

コレクティブリーダーシップ

NBS(ニュービジネスサロン:異業種交流会)でも去年リーダーシップフォーラムが出来て、いろいろリーダーシップについて話し合いがなされていますが、リーダーシップというのは組織の長だけではなく、一人ひとりに必要な事だと思います。私が最近興味を持ったのはコレクティブリーダーシップ(Collective Readership:集合的なリーダーシップ)というものです。社会や世界はますます巨大化して複雑化してきています。ある特定の機関や人が主導して解決していくのは困難に思われます。コレクティブリーダーシップというのは、ある理念の下にそれぞれの状況と立場のなかでリーダーシップを発揮して行こうというものです。東日本大震災の時の日本での姿にコレクティブリーダーシップを見ることが出来ます。トップは右往左往していましたが、被災地で炊き出しをした人達や援助物資の受け取りなどでリーダーシップを発揮した人達、節電で全国のあらゆる場所で主導して協力していった人達等がいて、世界でも称賛されるような対応をして、その影響を出来るだけ最小限に食い止めました。英雄願望でもメシア(救世主)の登場でもない、誰もが“名もなきリーダー”として力を合わせて解決していくあり方です。この考え方はとても日本的で、一人の独裁者にゆだねることのない、これからのリーダーの在り方として面白いと思っています。我が社でも我が社の理念の下で、それぞれの役割と状況の中で、一人一人がリーダーシップを発揮していく事が、企業全体の発展や個人の幸せをもたらしていく事になるのです。勿論ここでいうリーダーシップとは組織上のリーダーのことだけではなく、一人ひとりがそれぞれの職場と立場でリーダーシップを発揮していくということです。

ここで生きる

リーダーとして必要な資質はいろいろあると思いますが、その一つとして「ここで生きる」という決意があると思います。「ここで生きる。ここを離れない。何があってもここを離れない。」という強く固い決意です。周囲にいる人たちはこの揺るぎない、何があっても“ぶれない”決意があるから安心してついて行けるのではないでしょうか?恋愛や結婚でも「何があっても一生お前を守る」「何があってもあなたについていく」という揺るぎない決意が大切だと思います。「愛」は感情に属するのではなく意思や決意に属しているのですから。うまくいかない時や落ち込んでいる時でも、「絶対にここから逃げない」という一念が困難を克服し、精神的に強くし、次第に状況も改善していくのです。若いうちは試行錯誤は仕方ないと思いますが、ある程度の年齢になれば、会社であれ家庭であれ、どんな状況でも「俺はここで生きる」という強く揺るぎない一念を持つ事が大切だと思います。そしてその一念を持っている人が次第にその組織のリーダーになっていくのではないかと思います。

誉めるということ

リーダーとしては自分も含め周囲の人達のモチベーションを高めていかなければいけませんが、人のモチベーションは何によって最も高まっていくのでしょうか?まだあまり知識やこだわりのない小さな子供は何が生きがいとなっているのでしょうか?子供はもしかしたら「誉められたくて」生きているのではないでしょうか?親は勿論、おじいちゃんやおばあちゃん、先生などに「すごいね」「良くやったね」と誉められると本当に嬉しそうな顔をします。そして誉められたことを、もっと誉められたくてますます頑張るようになります。大人も根底にあるエネルギー源というのは「誉められる事」なのかもしれません。異性との関係もその特別な人から「誉められる」ことが、心を相手にますます近づけていく力の源泉なのかもしれないと思ったりします。「好き」「愛している」というのも大切ですが、「可愛い」「かっこいい」「センスいい」とか言われた方が、心が相手に近づいていくような気がします。恋愛や結婚の本質が「好き」という概念より、「この人から誉められたい」という概念に近いものであるとすると、恋愛関係や結婚生活で何が必要かということがわかります。そう思ってみると、なかなかそれが出来ていない自分に気が付きます。仕事でも「頑張っているな」「よくやった」「お前はここがすごい」、家でも「美味しい」「ありがとう」をもっと言いたいと思います。「誉めたい」と思うと相手の美点を見つめようとします。我が社の5カ条にも美点凝視という言葉があるのに、まだまだ実践できていないなと反省しています。

「自由」「平等」の次は「博愛」

近代国家が誕生したのは1789年のフランス革命からだと言われています。その時生まれたフランス国旗はトリ(3つの)コロール(色)と呼ばれ、それぞれの色が青=自由、白=平等、赤=博愛を意味していて、近代国家を形成していく上でその理念が各国に大きな影響を与えたと言われています。「自由」は我々が住んでいる自由(資本)主義国家、「平等」は社会(共産)主義国家を象徴しているように思います。どちらも理想はもっと素晴らしい世界をイメージしていたのでしょうが、現実は理想通りには進んでいません。それは人の欲が歪んだ世界に変質させてしまったからではないかと思います。資本主義も共産主義も人の我欲で崩壊していっているように思います。独裁者が必ず哀れな末路をたどるように、特権階級が生まれるような社会は遅かれ早かれ必ず崩壊すると思います。これから我々が目指すべき社会は、3番目の「博愛」を理念の軸とした社会ではないかと思うのです。

私はこれからの目指す社会は、「経済」が社会の資本という「資本主義」ではなく、「人」が資本となる、例えば「人本主義」のようなものではないかと、時々話したりしています。人の意識が変わらなければどのような形態や体制にしても社会はあまり変わらないように思います。社会の形ではなく、人の心や意識の変革を目指した社会の在り方として「博愛主義」の社会が次の目指すべき社会ではないかと思うのです。「愛」の概念は人が生きていく上でとても大切な概念ですが、これが個人に属していて、国家や企業にはあまり属していません。でも人を大切にする「博愛」型の社会を目指してこそ、本当に「自由で平等」な社会を築いていくことが出来るのではないかと思います。

鈍刀を磨く

我が社が目指している人を最も大切にしていく企業=「Good People Company」、競争ではなく共に成長発展していく「共生の社会」こそが、これからの求められている社会だとますます確信を持てるようになりました。一人ひとりの力は小さいけれど、大きな志をもってやっていきましょう。世界はそう簡単には変わらないけれど、社会も人間もそう簡単には変わらないけれど、小さな自分の周りから少しずつ変えて行きましょう。それにはまず自分から変わっていきましょう。

鈍刀をいくら磨いても無駄な事だと言う人がいるけど、そんなことはありません。刀は光らないけれど、磨く自分が光ってくるのです。私達が属している企業や社会を自らの力でより良く変えて行こうとすることが、自分の人生や周囲の人たちの人生に意味と価値を与えて行くのです。

皆で、今年もまた階段を一段登って行きたいと思います。

2015年(平成27年) 1月5日

株式会社エスピック 代表取締役・島 至